XXCLUB大島育宙のほざくこと

できる限り再読に耐える文章をアップできるよう努めます。

はじめて人前で怪談を披露したら霊を呼んでしまった話

まさかそんなことはないだろう、と思っていたことが起こる。
人生はそういうものだし、死者との関わりなんて尚更そうみたいだ。
 
1年ほど前から怪談の蒐集に凝っている。
テレビやネットで手に入れたものではなく、自分が経験した話か人から直接聞いた話、という縛りをかけて飲みの席や空き時間の団欒の中で募る。
はじめはみんな
「ごめん、ないや」
と言うが、面白いもので、食い下がれば意外と
「そう言えば…」
と話し出す。
 
個々の情報は一見取るに足らない、オチも展開もない他愛もない断片
しかし、それが孕むかすかな違和感をカテゴライズし、集積して再構築しながらひとつの話を紡ぐと恐怖が純化されていく。
人の感情を揺り動かすことの根源的な構造に触れている感覚は何物にも代えがたい。
 
聞いてはメモしを繰り返しているうちに、私のスマホにはかなりの数の禍々しい逸話のかけらが貯まった
 
やがて不可解なことが次々にそのスマホに降りかかった
 
最終的にスマホは1台は壊れ、買い換えた次の1台は説明がつかない形で手元から消えてしまった
 
そんな時に、いつもお世話になっているお笑いライブの、普段とは違う種類のネタにチャレンジする企画に呼んでいただいた。
私は普段、相方とコンビで漫才をやっているので、その企画では漫談(一人しゃべり)に挑戦することになった。
 
舞台に初めて一人で立つ。
いろんな動画を見て漫談について考えた。
「面白い話をする」という触れ込みで登場して看板通りに笑いを取るのは、コンビの片方がツッコミ役に回り、笑い所に補助線を引くのと比べると、ひどく難しいことに思えた。
悩んでいた時にふと、芸人さんが集まって怖い話を持ち寄る番組では、まあまあの確率で話の終盤に大きな笑いが起こることを思い出した。
 
話のオチ自体が意外にもコミカルでウケることもあるし、オチはしっかり怖いのだけどその怖さに対する周囲のリアクションで安心の笑いが起こることもある。
いずれにせよ、怪談のシリアスさとその後の安心感の落差が鍵に決まっている。
 
「緊張と緩和」というお笑いの教科書の1ページ目をこんなに意識的に使う日が来るとは思わなかった。
怪談を蒐集する過程で自分の身やスマホに起きた怖いことをまとめて緊張感を高め、オチが意外とくだらなくて安心するような構成で話を組み立てた。
そこでウケないと嫌なので、その後にも再びの緊張とより大きな緩和のオチを用意して予防線を張った。
 
怖い話
コミカルなオチ①
怖い話(続き)
コミカルなオチ②
 
という無難に無難を期した構成。
 
若手芸人のチャレンジを温かく見守る、というライブの空気も相俟って、1個目のオチは予想より大きな笑いで受け入れられた。
押せばもう少しハッキリ笑ってもらえると感じたので、霊を畏怖の対象からぐっと親しみの対象に引き寄せるような、ともすれば罰当たりなオチを、私は予定よりしつこく繰り返した。
 
その時点で手元のストップウォッチを見ると、持ち時間ちょうどくらいだった。
 
本当はそこでネタを締めてもよかった
 
しかし、お笑いネタライブなのにオチ以外はほとんど笑いどころがない構成だったのを急に申し訳なく思った私は、このまま次のオチまで行ってしまおうと思い立った。
 
「この先もう一個オチがあるんですけど話していいですか?
 
お客さんに呼び掛けてみたその瞬間だった。
 
ブッブーーーーー
クイズの不正解の時に流れるあの音響が大きな音で流れた。
 
その瞬間、私は「長いからもうネタを締めろ」というスタッフさんの指示なのかな、と思った。
次の瞬間には、チャレンジネタのコーナーには実は「〇×判定」があり、自分はお笑いじゃないようなネタをしたので不合格になったのかな、と思った。
その次の瞬間には、いずれだとしても自分は芸人としてミスをしたのであり、恥ずかしいと思った。
 
しかし、「え?どういうことですか?」と舞台袖に聞いても何の反応もないので締め損ね、結局怪談の続きとオチ②を手短に話して、逃げるように舞台を降りた。
 
袖ではスタッフさんと司会の芸人さんが顔を見合わせてそわそわしていた。
そこで私ははじめて何が起きたかを聞かされた。
 
そのコーナーに「〇×判定」はないこと、
そもそもスタッフさんは音響機器を触っていないこと、
私が客席に問いかけた瞬間触っていないバインダーが棚から1枚だけ勢いよく落ちてきて、その角がたまたま「×音のボタンに当たったこと
 
バインダーが乗っていたを実際に見たが、それはボタンの真上ではなくかなり離れた斜め上 の、物理的に不自然な位置にあった。
 
そのライブ制作会社さんでは、演者のネタ中に関係ない音響が流れたのは、10年以上の歴史の中で初めてのことだと言う。
 
 
タイミング的にも、効果音のチョイス的にも、目先の笑いを取るために霊への敬意を欠いた私への警告としか思えなくなった。
 
 
私は深く反省した。
霊が現実にいるかどうかはどちらでもいい
しかし、こうした偶然とも必然ともつかないできごとが、否応なしに人間の行動に影響していくこと、そのメカニズムそのものが」だと言ってもあながち間違いではない、というのが現時点での私の霊魂に対する理解だ。
 
 
 
 
 
 
その後のライブのエンディングで、普段では滑り知らずの芸人さんたちがボケてもボケても皆一向に思うように笑いを取れなかったのが偶然なのか、いまは知るすべもない…。