映画『帝一の國』について本気出して考えてみた
2017年、最高だった映画『帝一の國』について書きます。時間がない人は太字だけ読んで下さい。
青春映画は数あれど、『帝一の國』がいかに特別かということを説明します。
1.最終目標と劇中のドラマの落差
まず、大いなる目標への助走のごく序盤を描いているという点。
例えば、多くのスポーツ漫画は、高校生の最後の夏の大会を目標にしたお話です。
その登場人物たちの意識は、あくまで甲子園や全国大会と言った目先の目標に集中しており、チームメイトやライバルの多くはプロに進まなかったりします。「ドカベン」のような、ほとんどのキャラクターがプロで活躍する漫画にしても、甲子園での優勝は後の人生の足がかりとしてではなく、それ自体達成することに意義がある夢として描かれます。
それに対し、『帝一の國』のキャラたちは実にドライです。海帝高校の生徒会長になるために心血を注いでいるけれども、生徒会長の座それ自体に憧れてはいない。あくまで将来総理大臣になるための手段として、政界の海帝閥で有利な位置につけるための通過点として欲しています。
主人公・赤場帝一の学年の生徒会長が決まったところでお話は終わりますが、この後も彼らの総理大臣レースという長く険しい道程は、おそらく彼らが還暦を迎える頃にまで続いているのです。『帝一の國』は、長い長い人生を賭けた架空の「本編」のごくごく序盤のみ描いた、いわば「前日譚」的な位置付けの青春群像劇と言えます。
人生を賭けた大目標に必要な努力の数を仮に100とすると、生徒会長選挙はそのはじめの1にすぎないかもしれない。
彼らはその「1」にさえ躓き、苦しみ、なんとか乗り越えようと醜いまでの努力をします。
総理大臣という大目標に対し、高校の生徒会選挙という舞台設定、その規模の落差は映画史上最大クラスでしょう。
その姿が滑稽だからこそ、ともすると堅い話になりそうな本作が原作、映画ともに王道のコメディとして魅力的になっているのですが、我々の人生における多くの努力や挫折の本質とそう遠いところにはないと思います。
例えば受験でも就活でも恋愛でも、我々の人生に訪れる多くの試練は、それ自体が大きな困難であり目標であるけれど、同時にその先にある生活の始まりに過ぎないことが多いです。多くの劇映画はその始まりと終わりを描くけれど、それよりも、大目標を掲げ、そのずっとずっと手前の関門で苦しむ彼らの姿は、実は我々の現実に近い。荒唐無稽な設定ながら多くの観客が感情移入してしまう理由はそこにあります。
では、映画版特有の魅力はなんでしょうか。
2.青春映画における「名作の条件」
それは私が考える青春映画の名作の条件と大いに関係があります。
「登場人物と役者の人生のシンクロ」です。
例えば『バトル・ロワイアル』(出演:藤原竜也、前田亜季、山本太郎、栗山千明、塚本高史、高岡奏輔、柴咲コウ、安藤政信ほか)という無類に面白い映画があります。今振り返ると豪華なキャストだなと思える割に、クラスメイト一人一人が次々に死んでいく映画なので、実際に観てみると役者さん一人一人の見せ場は非常に少ないです。キャリアの初期に深作欣二監督という巨匠の作品に抜擢されたものの、どうやら一人当たりの出番は少ない。ならば何とか限られた出番の中で爪痕を残してやろう、という俳優たちの覚悟が、無人島で殺し合いをさせられる高校生の鬼気と重なって画面上に奇跡が起きています。
『何者』(出演:佐藤健、有村架純、菅田将暉、二階堂ふみ、岡田将生、山田孝之ほか)という、就活に臨む大学生たちを描いた作品も、あらゆる仕掛けに気配りが行き届いた本当に面白い映画です。それに加え、若手俳優としては地位を築いた俳優さんたちにとって、これから名優として歴史に名を残していくための競争とは、映画・ドラマ・演劇の一本一本それ自体が就活のようなものでもあるのかなと思わせられます。映画を観ている間にそこまで考える訳ではないですが、劇中の大学生が自分の見せ方や生き甲斐について悩む姿に、人気若手俳優から中堅実力派俳優へのシフトチェンジを着実に進めるキャスト陣の人生が重みを加える効果は絶対にあると感じます。
もちろん、こうした見方は穿った、ある種マニアックな見方であると思います。
ただ『ロッキー』がシルベスター・スタローンのどん底からの挑戦とシンクロしているから感動が増幅することを我々は知っています。
ここであえて『帝一の國』について確認する必要もないでしょう。菅田将暉、志尊淳、千葉雄大、野村周平、竹内涼真、間宮祥太朗(敬称略)といった人気も実力も兼ね備えた面々が、歴史に残る名優になるべく鎬を削っている時期であることは誰の目にも明らかです。役者としても生徒会メンバーとしても、お互いが仲間でありライバルであることに変わりはないでしょう。
原作のラストでは数十年後、初老になった帝一が総理大臣になっていることが示されますが、映画版にはそのシーンはなく、メインキャラたちの誰が総理になってもおかしくない予感を残している点で、より開かれたラストと言えるでしょう。
「人生を賭けた目標に向けた初手の奮闘」を描きながら、同時に「登場人物とキャストの人生がシンクロする」という条件も満たした映画はよくよく考えると非常に珍しいし、その試みが高度なエンタテインメントとして結実しているのは本当に凄いことです。
既に大人気の作品なので私が語るまでもないとは思いましたが、これから『帝一の國』と言う映画が後世に伝わるに当たって、いろいろな種類の見方がある方が良いかなと思い、筆を執りました。まだの方はぜひ観てください。
以上。